昭和42年01月02日 夜の御理解
御祈念前に学生会の方達が、日曜のたんびに会合を致しておりますけれども、その会合の信心共励の内容を、その都度都度書き留めておるというので、こういうもの作って、これにちなんだ題名を頂きたいというて申しておられました。その事を只今の御祈念にお願いさせて頂きましたら、研心、心を研くと言う事を頂きましたから、研心録とでも書かれたらよかろうとこう思うのです。
もう信心は、他の事では御座いませんですからね、結局は心を研く以外にないので御座いますから。どの様な事を検討しようが、どの様な事を話し合い致しましょうが、結局は、本心の玉を磨く事の為のそれじゃなからなければならんので御座いますから。と同時にその、私は磨き方、どういうふうにしてなら研いていくか。我流で研いたっちゃつまらん、ね。改めて磨かなければならんときに、荒砥仕上砥石でなからなければならん時には、仕上げ砥石を持ってしなければなりません。
だからその、矢張り金光様の御信心の金光様の御信心の、所謂生き方研き方というのが私はあると思うんです。ただ心研きさえいきゃあよかっちゃろうもんと言う事になるとですね、もうお参りもしなくても良い様な感じが致します、ね。信心ちゃ心研きだけじゃろうがと、それならばそげんわざわざ、そげん遠かとこまで参る事がいるか、と言った様な屁理屈まで漬ける様な結果になります。
ですからどこまでもそこん所をとり失わない様に、私はそう感じましたから、そのどう言う様な学生会学生会としての、その研心の在り方というものがあるだろうかと言う事を感じました、頂きます事が大きなねあの亀の子だわしを頂くんです。今でもやっぱあると思うんですけど、亀の子のこうマークのついたですね、大きなこのタワシなんです。こういう研き方。
まあいうならばあれは、洗い物を洗うと言った様な感じですね。いわゆる粗削りの所を、勿論学生会の方達の信心がそんなに、まあ完璧なと言った様なものをです、感じる方が無理でございますけれども、とにかくやはり荒研きが大事だというようなかんじ。同時に、亀甲というそのー漢字からですね、いわゆる亀のマークのから、結局私の事を亀と言う様な表現でいわして下さるのですから、結局はお取次を頂いての事でならなければいけないと言う事。
いや私の信心の生き方に習わなければ駄目だと言う事。所謂先生の信心の御流儀に沿うてからと言う事に、私はなるんじゃなかろうかと思う、ね。学生だから学生的でなからなければならんと同時に、それはどこまでも御取次を頂いてからの事。金光大神の教え振りというものに沿わなければならないと言う事。同時にここでは私の信心の、今どう言う所に焦点を置いて先生が信心を進めておいでられるか、と言う所をまず念頭において、そしてそれを検討する。
それに沿うて行く為の共励であり、又は研修でなからなければならない。そう言う様な事がまあその都度都度に記録されて行くと言う事になりますとです、大変是はまあ一時的なまあ備忘録というですかと言った様なものではなくてです、ね、是を何時また振り返ってそれを見せて頂きましても、そうとう信心がはっきり色々と分からせていて頂く様なおかげを頂くものでなからなければならんとこう思うのです。ですから学生会の方達はどうぞ、これにはまあ研心録とでも。
この表紙に書かれたらよかろうとこう思います。まあその事からお互いの信心の進め方というものがです、ね、皆さんにも分かろうかとこう思います。どこまでも金光様の御信心は、ね、磨きゃよい所じゃない、けれどもその研き方がある。それには何処までもお取次を頂いてしかも、御信心ぶりそのお取次を願う、いわば先生というか、ね、金光教の御信心ぶりというものに沿うていかないと、いわばなんと申しますかね、いわゆる我流のものになる。我流のものになったんでは、私は面白くないと思うですね。
どうぞおかげを頂きますように。